羽村さん
は:ハートは熱く、温かく、声は大きくべらんめえ調。
む:昔話?専修大学野球部の話をよ~く聞かされました…
ら:楽な練習ではなく、きつく、地味な基礎練習でした。(…と聞いています。)
ゆ:夢の甲子園に行けました。嬉しかったですね。
き:キャッチャーでしたね。ピッチャー市川さんと国高野球部員の好リードをしてくださいました。
お:OB戦では敢闘賞を選んでくださいました。大盤振る舞いでしたね。
当時私たちマネージャーの主な仕事は試合のスコア付けとOBに会ってOB会費を頂くことでした。(スミマセン。練習には参加していませんでした。)
羽村さんに初めてお会いしたのは、そのOB会費を頂きに、当時青梅在住でしたので、近在の仕事場に伺った時だったと思います。
なんで仕事場なんだろうと思いながら伺いましたが、歓待してくださり、周りの方も野球の話で盛り上がっていました。人気者だったんですね。
それから高校のグラウンドでよくお目にかかるようになった気がします。
毎年同期の新年会においでいただき楽しいお酒をご一緒していましたが、市川監督がいらっしゃらなくなってからは、寂しそうでしたね。
ある日、帰宅の際に少し足がゆっくりでしたので、同期のマネージャー馬場さんと立川駅までご一緒し、一人が電車のドアを押さえて中にいざない、一人がさっと羽村さんの席を確保して座っていただきました。ナイス連携プレーでしたが、降りるときちょっと恥ずかしかった…
長い間お世話になりました。ありがとうございました。
昭和51年卒 池本(原口)泰子