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代表寄稿(S56卒 名取さん)

名取です。ホームページ開設を実現したご関係のみなさま、ありがとうございます。
久しぶりに高校時代の試合メモノートを開いてみたら、戦績や大会組み合わせのプリント、新聞切り抜きを何枚か、挟み込んでいました。書き込み、塗りつぶしだらけで見苦しい限りながら、当時の様子が少し分かるので、アップさせていただきます。

■昭和52年~53年5月28日の戦果。

昭和52年度計35試合20勝13敗2分。16強に進出した西東京大会は、5試合中コールドゲームが3試合あります。富浦合宿の遠征試合には、天羽、君津商という、私にとっても懐かしい校名が見えます。53年度は5月まで4勝5敗とはいえ、先輩方の打率に瞠目。5割に近い4割台1人、3割台6人(フルネームは隠しました)、チーム打率3割を超えていたのですね。

■53年秋の15ブロック

当時は国高もブロックの会場校でした。1回戦の昭和一工(現・昭和一学園)に2-0と武史が1安打完封。打球が走者に当たったために安打となったので、ノーヒット・ノーランのようなものでした。中1日で都農林(わがふるさと青梅の強豪。いまは青梅総合)戦は延長13回。メモによると、武史の投球数208。負け投手にしてしまいました。ごめんよ。

■54年夏の組み合わせ

国高は右の上から5番目。府中市民球場で試合しました。2回戦敗退でしたけれど、都千歳の試合、上保先輩の本塁打、それは見事なアーチだったのです。次打者席から見上げている時間を長く感じたのを、よく憶えています。もし勝っていたら、次の試合の相手は、実は駒大高。翌年は決勝で、翌々年も3回戦で駒大高とあたっています。こうしてみると、巡り合わせってあるなあと思うのでした。
■54年秋の12ブロック

当番校名の下に、固有名詞や電話番号が記されているので、隠しました。
塗りつぶしすぎて、校名が見えませんね、1安田学園、2都町田、3玉川学園、4都南野、5都農林、6都葛飾商、7都小金井工、8都国立、9成蹊学園、10関東一、11麻布学園、12正則学園、です。
1回戦成蹊の1失点は私。1回3分の1が、公式戦ただ一度、の登板記録になりました。2年連続夏ベスト4の小金井工にもコールド勝ち、関東一との準決勝は、国高祭の当日だったので、土ぼこり舞う一橋大グラウンドで。打ち勝ちました。そして進んだブロック決勝、ふたたび都農林と。農林には、練習試合を含めて、負け越しでした。あと、武蔵村山、桐朋にも。

■その5。55年春の都大会

1回戦は府中市民球場で日大豊山と。9回のピンチ、左翼フェンスぎりぎりの飛球を森川が捕って接戦を制しました。2回戦は都営駒沢球場で都東大和。市川忠男監督のアドバイスで、前日に横手投げに変えた武史が快投、0-0のまま延長戦に突入しました。途中で単打1本出ていれば決勝点、という場面が少なくとも2度あったけれど返せず。四番名取3三振。勝ち進んだら修学旅行はパスだと本気で思っていたけれど…行けてしまいました。

■55年夏

国高は、右下のヤマをのぼりました。詳細は歴史ページにあるので割愛。甲子園に行くぞと念じていたメンバーは何人もいたはずですけれど、それにしても、組み合わせ表の真ん中に都国立と自分で書くことになるとは。大会前に、とある優勝予想に国高と明記したのは、村松、森川の2人だけでした。詳細は、いずれ二人が投稿してくれると思います。

以上

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